■名物教授訪問@東京都立大学
東京都立大学法学部の谷口功一教授は、法哲学が専門ですが、夜のネオン街の「スナック研究者」としての顔も持っています。「正義とは何か」を議論するお堅い法哲学が専門の教授が、なぜ正反対の世界にあるスナックを研究することになったのでしょうか。最近は若い人や女性たちに、スナックにはまる人が増えています。昭和歌謡がブームとなり、昔ながらの雰囲気のスナックも人気です。スナックの魅力はどこにあるのか、谷口教授に聞きました。(写真=本人提供)
仲間の研究者と「スナック研究会」を立ち上げ
スナックはカウンターの向こうにママやマスターがいて、お酒を飲みながら会話を楽しむ店です。街角でよく目にするスナックは、減少傾向にあるものの、現在、全国に約5万軒あると言われています。そのスナックを学術的に研究しているのが、東京都立大学法学部の谷口功一教授です。
「ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスは、イギリスのパブやオランダのコーヒーハウスでお酒やコーヒーを飲みながら議論することによって、ヨーロッパの市民社会は育ってきた、と言っています。日本におけるスナックはまさにそういう場所。地域の人が集まってお客さん同士で話をする『夜の公共圏』なのです」
谷口教授は地元のスナックで飲んでいた時、「スナック」という名前の由来が話題になり、調べたことから興味を持ちました。早速、仲間の研究者と9人で「スナック研究会」を立ち上げ、歴史学、哲学、文学、美術史学、政治学、法学などの視点から研究を行いました。「『夜の公共圏』と本居宣長」「スナックと行政—規制対象としての実態と振興対象としての可能性」「日本の宴席と文化」などのテーマで研究報告会を開き、研究の成果を2017年に『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』(白水社)として出版すると、大きな話題になりました。現在も多くの取材を受け、全国で講演しています。
ちなみに「スナック」の名前の由来ですが、本来は「軽食」という意味です。酒類のみでなく食事も提供するなら深夜まで営業してよいという法律があり、かつて警察の取り締まりに備えてカウンターにサンドイッチなどを用意したことから、こうした店がスナックと呼ばれるようになったそうです。

コロナ禍をきっかけに、「法哲学」と「スナック」がつながる
谷口教授の専門は「法哲学」。大学の法学部は、たいてい法律学と政治学に専攻が分かれています。そのうち法律学には、実際に存在する法律や判例を研究する実定法学と、基礎法学があります。
「医学の臨床と基礎のようなもので、法哲学は基礎法学です。法とは何か、正義とは何か、基本まで下りていって考え直してみようという学問です。安楽死の是非のように、これまでの法解釈では解決できない問題に遭遇したときに必要なのが法哲学です」
谷口教授はもともと「公共性とは何か」をテーマにしていました。これまでに性同一性障害特例法、移民・難民問題、ジェンダーとセクシュアリティーの問題などのほか、ニュータウンのショッピングモールを対象にした研究も行ってきました。
「公共性というとNPO、ボランティア、政治参加など、昼間の市民活動を思い浮かべますよね。しかし、我々の人生の半分くらいは夜ですから、飲み会のような夜の社交も重要な意味を持つのではないかと思いました。それを研究している人はいなかったのです」
最初は好奇心から始めたスナック研究でしたが、2020年に新型コロナウイルスの感染が広がり、飲食店の営業時間の短縮が求められると、これは営業の自由、経済的自由に関わる重大な問題ではないかと、自分の専門である法学との接点に気がつきました。
「月刊誌『Voice』に『「夜の街」の憲法論-飲食店は自粛要請に従うべきなのか』という原稿を寄稿しました。飲食店への営業規制は、憲法上の権利を侵しているのではないかという警鐘は、大きな反響がありました。スナックや夜の街をよく知っていて、かつ法的なことがわかる人は私くらいなので、自分はいま起きていることのために研究してきたのではないかと思いました」
スナックは地域に入るドア
スナック研究の魅力は、どんなところにあるのでしょうか。「スナックは地域に入っていくドアの一つ」と谷口教授は話します。
「地方に旅行に行っても、地元の人と話す機会はなかなかないですよね。スナックに行って地元の人と話すことで、よその地域とのつながり、人の動きなど、数字ではわからない姿を知ることができて、その町の解像度が上がります。これは何ものにも代えがたい、おもしろい体験だと思います」
商工会や青年会議所、ロータリークラブなどのメンバーが集まる店では、土地取引や選挙、人の消息のような話が飛び交います。最近、谷口教授が訪れた北海道の網走市と北見市のスナックでは、ネットや本の情報だけではわからなかったことをたくさん知ったそうです。
「現地に行ってみると、午後2時にもう日が傾き始めて、4時には真っ暗になるんです。ママさんは『2時になると一日が終わった感じがするのよね』と話していました。同じ日本列島に暮らしていても、生活感覚が全然違うんだなと思いました。東京にいると、つい東京を中心に物を見てしまいがちですが、全国の多様な町を知ることは、法哲学で共同体やコミュニティーについて考える上でも大いに役立っています」
谷口教授によると、コロナ前に約7万軒あったスナックは大幅に減っています。カラオケがあって駅前のビルに入っているような、今のスナックの原型ができたのは1980年頃でした。当時30歳だったママが70歳を超えて引退する店もあるし、コロナの影響で閉めた店もあります。その一方で新しいタイプのスナックも出てきていると言います。
「例えば、街づくりに携わる若者がTシャツを着て接客するような『街中スナック』。その多くは禁煙で、営業時間は夜10時くらいまで。老若男女が食事に行ける雰囲気です。あるいは、高齢や病気のために一人ではお酒を飲みに行けない人が、送迎付きで安心して楽しめる『介護スナック』もあります。店には看護師や介護士がいて、事前に打ち合わせをして利用者を迎えます。もう外に飲みには行けないとあきらめていた人が、友人や家族と楽しい時間を過ごし、また来るためにリハビリに励むという例もあります。時代に合わせて、スナックも変容しているようです」

スナックで親以外の大人と話をする時間を楽しんで
高校生の頃、谷口教授は外交官になろうと考えていました。しかし、東京大学法学部に進んで法哲学と出合い、研究者の道を選びました。
「法学部では、法律や政治の制度を知った上でさまざまな事象について考えていきます。私がスナックを研究しているように、自分の興味次第で、実は想像以上に幅広い研究ができるのが、法学部の魅力のひとつだと思います。また、研究者というのは、自分で面白いことを見つけてきて、プロジェクトを組んで研究し、成果も自分の責任と名前で出して、本を書いたり講演したりすることができます。こんなに面白い仕事はないと思いますね」
最後にこれから大学を目指す人へのアドバイスを聞きました。
「親から離れて自由になれる大学時代は人生の中で最もいい時期の一つです。友人と一緒にお酒を飲んで議論したことは、一生の宝物になります。ゼミの教授にスナックに連れていってもらって、自分の親以外の大人と話をするのもいいですね。そういう時間を大事に楽しんで、その後の人生に生かしてほしいと思います」
プロフィール
谷口功一(たにぐち・こういち)/1973年、大分県生まれ。東京大学法学部卒。同大大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。専門は法哲学。著書に『ショッピングモールの法哲学――市場、共同体、そして徳』『日本の水商売 法哲学者、夜の街を歩く』『立法者・性・文明:境界の法哲学』。共編著に『日本の夜の公共圏――スナック研究序説』。共訳書に『ゾンビ襲来――国際政治理論で、その日に備える』『[新版]〈起業〉という幻想――アメリカン・ドリームの現実』など。
(文=仲宇佐ゆり)